徳良湖

大正のはじめ、米価の高騰が続き各地で開田事業が盛んに行われていた頃、魚屋兼料亭を営んでいた高宮常太郎氏は、約230haの開田の貯水池として築堤を計画しました。工事は大正8年9月に着工し、総工費19万5千円を投じて大正10年5月に完成しました。こうして周囲約2.7km、水深約5.6mの巨大な溜池が誕生し、これが現在の徳良湖です。

日本を代表する民謡「花笠音頭」は、この工事の際に唄われていた「土搗き唄」から生まれたものです。たびたび懸賞付新作歌詞の募集があり、人夫達は仕事に作詞に張り切り、何百という歌詞が誕生しました。

地元の発展を願った高宮常太郎氏の大志は、花笠音頭や花笠おどりとなって現在も受け継がれています。